お金を燃やす!? ウチカビ物語。沖縄の旧盆に受け継がれる、ご先祖さまへの贈りもの

沖縄の旧盆。ウークイの夜になると、仏壇の前や家の外で、黄色い紙を燃やす光景を目にします。

 

ウチカビ(打ち紙)と呼ばれるその紙は、沖縄ではごく当たり前の存在です。けれど県外の人にとっては、「なぜ、お金のような紙を燃やすのだろう」と不思議に映るかもしれません。

 

ウチカビは、別名「紙銭(かみじん)」とも呼ばれます。意味するのは、あの世で使うお金。ご先祖さまが向こうの世界で金銭に困らないようにと、清明祭や旧盆などで祈りを終えたあと、煙にのせて天へ送るものです。

 

今回お話を伺ったのは、沖縄県内で発生した古紙を再生し、ウチカビ「守礼紙銭(しゅれいかびじん)」を製造している昭和製紙株式会社。工場で作られる一束のウチカビの背景には、沖縄の先祖供養の文化、戦後の暮らし、そして紙のリサイクルをめぐる物語がありました。

 

旧盆を前に、当たり前のようでいて、実はあまり知られていないウチカビの世界をたどります。

この方にお話しを伺いました!

 

昭和製紙株式会社
取締役相談役 屋嘉比 廉邦さん (左)
営業部長 屋嘉比 康弘さん (右)

 

沖縄県内で発生した古紙を再生し、トイレットペーパー、板チリ紙、タオルペーパー、そして打ち紙「守礼紙銭」を製造している昭和製紙株式会社。同社では、2001年1月からウチカビの一貫製造をスタート。沖縄の伝統文化を支える製品づくりとともに、県内資源を県内で循環させる“ほんとのリサイクルの輪”にも取り組んでいます。
今回は、取締役相談役の屋嘉比廉邦さん、営業部長の屋嘉比康弘さんに、ウチカビの歴史や製造工程、現代の住まい方と文化継承についてお話を伺いました。

ウチカビは、ご先祖さまへ送る「あの世のお金」

 

 

沖縄では、清明祭(シーミー)の墓参りや、旧盆の最終日であるウークイといった先祖供養の場面で、ウチカビが使われます。

 

墓の前で、仏壇の前で。

 

祈りを終えたあと、ウチカビに火をつけ、煙を天にのぼらせることで、ご先祖さまへお金を送る。そんな意味が込められています。

 

「ウチカビは、別名『紙銭』とも呼ばれています。あの世で使うお金、ということですね」

 

そう教えてくださった屋嘉比さんの言葉は、とても自然でした。沖縄では昔から当たり前に行われてきたことだからこそ、あらためて説明しようとすると、かえって照れくささもあるのかもしれません。

 

県外出身の人から見ると「お金を燃やす」という行為そのものが印象的に映ります。けれど、この文化の中心にあるのは、紙でも、金額でもありません。

 

向こうの世界で困らないように。

必要なものを買えるように。

どうか安らかでいてほしい。

 

そう願って送る気持ちこそが、ウチカビの本質です。

起源は中国の紙銭。沖縄に伝わったウチカビ文化

 

ウチカビの起源は、中国の「紙銭」にあるとされています。

 

沖縄に伝わったのは、14世紀後半頃。長い交易の歴史をもつ琉球だからこそ、中国の文化や風習が海を越えて届き、沖縄の暮らしのなかに溶け込んでいったのでしょう。

 

現在、日本国内でこの文化が色濃く残っているのは、沖縄本島だけでなく離島を含む沖縄地域のみだといわれています。一方で、台湾や香港にも似た商品があるそうです。

 

海でつながり、文化で響き合う地域に共通する、先祖を想う感覚。

沖縄のウチカビは、その一端を今に伝える存在でもあります。

 

ただし、沖縄に根づいたウチカビは、単なる“外から来た風習”ではありません。長い時間のなかで、沖縄の人たちの供養の気持ちと結びつき、旧盆やシーミーの風景そのものになっていきました。

 

今では、ウチカビがなければ、どこか旧盆らしくない。そんなふうに感じる人も少なくないはずです。

昔は家庭で作っていた。集落に響いた「トントン」の音

 

 

現在、私たちが店頭で見かけるウチカビは、きれいに束ねられた完成品です。けれど、昔はそうではありませんでした。

 

「以前は、家庭で鳩目銭形(丸に四角)の型を作って、その型を紙に押し付け、ハンマーで叩いて打ち付けていたそうです」

 

ウチカビを漢字にすると「打ち紙」。

 

「打ち」という言葉には、その製法が残っています。

 

一枚の紙に型を置き、上から叩く。

また一枚、また一枚と、銭のかたちを打ち付けていく。

 

その役目は、子どもたちが担うことも多かったといいます。季節が近づくと、集落のあちこちからトントン、トントンと叩く音が聞こえてきたそうです。

 

その音を想像すると、なんだか胸が熱くなります。

 

今のように、静かに袋から取り出して使うのではなく、ウチカビは家族みんなで準備するものだったのです。子どもたちは音を鳴らしながら手伝い、大人たちはそのそばで旧盆やシーミーの支度を進める。

 

ウチカビは、供養のための道具であると同時に、家族の手と時間が宿るものでもありました。

段ボールの色から受け継がれた、黄土色の紙

 

 

ウチカビといえば、少しくすんだ黄土色を思い浮かべる人が多いでしょう。

この色にも、実は歴史があります。

 

昭和製紙がウチカビの原紙を製造していた当初、原料には米軍から出る段ボールなどが使われていました。つまり、最初は染めていたのではなく、段ボールそのものの色を生かして紙を作っていたのです。

 

その後、原料事情の変化もあり、現在は黄土色に染めた原紙を使用するようになりました。

 

「今の色は、昔の名残でもあるんです」

 

私たちが「ウチカビらしい色」だと感じているあの黄土色は、単なるデザインではありません。沖縄の戦後の暮らしや、身近な資源を使ってものを生み出してきた知恵の延長線上にある色なのです。

 

紙一枚にも、時代がにじんでいる。そんなことを、あらためて気づかされます。

昭和製紙が「守礼紙銭」を作り始めた理由

 

 

昭和製紙がウチカビの製造を始めたのは、2001年1月。

 

それ以前、同社はウチカビそのものではなく、元になる原紙を別の製造会社へ供給していました。ところが、その会社が製造を続けられなくなります。

 

「それまでは、うちは原紙を出していたんです。でも相手先が製造できなくなって、機械を引き取ることになりました」

 

機械を受け継ぎ、製造を一貫して担うことになった昭和製紙。そうして誕生したのが、現在の「守礼紙銭」です。

 

商品名にも、沖縄らしさが宿っています。

 

“守礼”という言葉からは、首里のまちや琉球の歴史、礼節を大切にする文化の気配が感じられます。そして“紙銭”という言葉が、この商品が単なる紙ではなく、祈りのための紙であることを教えてくれます。

 

現在、ウチカビの市場では、昭和製紙の商品と読谷線香さんの商品が主流になっているとのこと。かつては中国製品も数種類流通していたそうですが、今は沖縄の風習に根ざした製品として、県産のウチカビが広く使われています。

沖縄の古紙が、ウチカビになるまで

 

 

守礼紙銭の原料は、沖縄県内で発生した古紙です。

 

昭和製紙の工場では、まず古紙を大きな釜に入れ、水と混ぜてどろどろに溶かします。その後、洗浄と脱水を繰り返し、再び紙として使える状態へと整えていきます。

 

ウチカビを作る際には、この段階で黄土色に染められます。

 

そして、できあがった原紙を専用の機械に5枚セットし、銭の形を型押ししていきます。そこから束ねられ、20束ずつ仕上げられていきます。

 

「昔ながらの機械なので、スピードは速くありません。でも、そのぶん丁寧に作ることができます」

 

一日の製造量は、およそ3200束。

 

大量生産の時代にあって、この数字を多いと感じるか、少ないと感じるかは人それぞれかもしれません。でも、そこには“急がず、雑にしない”ものづくりの姿勢があるように感じられました。

 

古紙を溶かし、洗い、脱水し、染め、型押しする。

 

そして、旧盆やシーミーの日、誰かの手の中へ届く。

 

沖縄の家庭から出た古紙が、沖縄の先祖供養を支える紙へと生まれ変わる。そこには、地産地消とリサイクルがひとつにつながる、地域の循環があります。

一人五枚で一億円? ウチカビに込められた沖縄らしい感覚

 

 

ウチカビの使い方は、地域によって少し異なりますが、基本的には一人につき五枚一組を燃やし、家族や一族の人数分を送るとされています。そのあとに泡盛を注ぎかけて送る、という流れも一般的です。

 

ここでおもしろいのが、“あの世での相場”についての言い伝えです。

 

屋嘉比さんによると、銭形ひとつが20万円という説があるのだそう。一枚の紙には100個の銭形が押されているため、一枚で2000万円。五枚一組なら、なんと一億円になる計算です。

 

「子どもの頃、大人から『これは一億円だよ』って言われた記憶がある人も多いんじゃないでしょうか」

 

旧盆の夜、燃え上がるウチカビを見つめながら、「たくさん送ったからね」と言われる。子どもにとっては少し不思議で、でもどこかワクワクするやり取りです。

住まいが変われば、供養のかたちも変わる

 

 

この10年、昭和製紙の販売数量には大きな変化がないそうです。コロナ禍のシーミーやお盆でも、販売は大きく落ち込みませんでした。

 

「コロナ禍ではさすがに減るかもしれないと思っていましたが、さほど変化は見られませんでした」

 

ただし、文化の土台となる暮らしの形は、少しずつ変わっています。

 

核家族化が進み、永代供養を選ぶ人も増え、戸建てではなくアパートやマンションで暮らす人も増えました。そうなると、ウチカビを燃やす場所を確保しづらかったり、火や煙に配慮しなければならなかったりする場面も出てきます。

 

実際、マンション暮らしの家庭では、ベランダや玄関先、あるいは屋外の安全な場所を探しながら工夫している人もいます。なかには、燃やさずに祈る方法を選ぶ家庭もあるそうです。

 

コロナ禍には、仏壇に来られなかった親戚の分まで、代わりにウチカビを燃やしたというお話も伺いました。

 

集まれないからこそ、誰かの分を誰かが託される。

 

それもまた、沖縄の供養文化のやさしさなのだと思います。

 

大切なのは、昔とまったく同じ形で行うことだけではありません。その時代、その住まい、その家族のかたちに合わせながらも、「先祖を想う気持ち」を絶やさないことなのかもしれません。

文化を風化させないために。これからのウチカビ

 

 

屋嘉比さんたちは、これからのウチカビ文化について、はっきりとした危機感と希望の両方を語ってくださいました。

 

核家族化、永代供養、マンション暮らし、そして“燃やすことができない”という環境の変化。そうした時代の流れのなかで、ウチカビの風習は、このままでは少しずつ見えにくくなっていくかもしれません。

 

だからこそ、伝えていくことが必要だといいます。

 

「風化させてはいけない文化・風習だと思っています。SNSやYouTube、インスタなど、いろんな方法で伝えていく必要があると考えています」

 

昭和製紙では、学校を中心に工場見学を行い、ウチカビの文化や風習だけでなく、紙のリサイクルについても学べる機会をつくっているそうです。

 

古紙が、トイレットペーパーになる。

板チリ紙になる。

タオルペーパーになる。

そして、ウチカビになる。

 

沖縄県内で発生した古紙で作られた製品を、再び沖縄の暮らしのなかで使う。そこには、単なる再利用を超えた、地域の循環があります。

 

個人的には、ディズニー映画『リメンバー・ミー』に描かれる先祖とのつながりが、沖縄の先祖崇拝と重なるところがあり、とても感動したと屋嘉比さんは話してくれました。

 

会えなくなった人を忘れないこと。

今の自分が、過去から続く命の先にあると知ること。

祈りを、かたちにして手渡していくこと。

 

ウチカビは、そんな感覚を、黄土色の紙にそっと包んでいるのかもしれません。

 

沖縄特有の風習ではあるけれど、全国の人にも知ってもらえたらうれしい。そう語る声には、文化を守るだけではなく、分かち合いたいという願いがありました。

 

今年の旧盆、どこかの家でウチカビの煙が空へとのぼっていくとき、その先にあるのは、見えない誰かとのつながりです。

 

そして、その紙の向こうには、沖縄の暮らしそのものが、静かに息づいています。

 

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昭和製紙株式会社

 

沖縄県内で発生した古紙を再生し、トイレットペーパー、

板チリ紙、タオルペーパー、打ち紙「守礼紙銭」を製造。

学校を中心とした工場見学にも対応。

詳細は公式案内をご確認ください。

https://www.syouwa-seishi.co.jp/

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取材・文/新垣 隆磨

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