「写真を撮る日」は、もっと普通の日でいい。浦添 てだこ写真館に聞く、家族写真を暮らしに飾るということ

スマートフォンの写真フォルダを開くと、子どもの寝顔、休日の公園、家族で食べたごはん。何百枚、何千枚もの「わが家の時間」が並んでいます。

 

けれど、そのうち何枚を、毎日の暮らしの中で目にしているでしょう。

 

浦添市前田にある「てだこ写真館」でお話を聞いていると、写真は撮った瞬間に完成するものではないのかもしれない、と思えてきました。

 

リビングの壁に飾られ、何気なく目に入る。

子どもが「あれ、誰?」と昔の自分を指さす。

家族で「あの頃はこんなだったね」と笑う。

 

そして10年、20年と時間が経ったとき、その一枚には、撮った日の何倍もの記憶が重なっています。

 

「この一枚の写真が、いくつもの人生と心をつないでいく」

 

そう話す、てだこ写真館の川上さんに聞きました。

 

記念写真は、本当に「記念日」にしか撮ってはいけないものなのでしょうか。

この方にお話しを伺いました!

 

てだこ写真館 川上 糧さん  

 

浦添市前田にある「てだこ写真館」のオーナーカメラマン。

 

祖父の代から写真館を営んでおり、当時の屋号は「川上写真館」。
その後、父親が浦添に移った際に「てだこ写真館」へと名前を変えました。
子どもの頃の写真館は、七五三用の刀で遊んだり、フィルムケースを使って何かをつくったりする場所。大人になってからは別の仕事に就き、33歳になる頃、お父さまの年齢のことも考えて写真の世界へ飛び込みました。

 


「家業なので、一回入ったら抜けられないと思っていたんです(笑)。だから、その前に別の世界で仕事をしておきたかったんですよね。最初は、3年やってうまくいかなかったら次を考えよう、くらいの気持ちでした」

 

カメラを本格的に触り始めたのも、その頃。

 

そこから父親に教わりながら写真を学び、今では家族写真、子どもの記念写真、トゥシビー祝いなど、たくさんの「誰かの人生の一日」を撮り続けています。

「一枚の写真」が、いくつもの人生と心をつないでいく

 

 

てだこ写真館が掲げているコンセプトがあります。

 

「この一枚の写真が、いくつもの人生と心をつないでいく」

 

川上さんたちにとって、撮影は日々繰り返される仕事のひとつ。

 

けれど、その日スタジオを訪れた家族にとっては、その一枚が、いつかかけがえのないものになるかもしれません。

 

「もちろん、きれいに撮ることは大事です。でも、それだけじゃなくて、そのときの時間とか、気持ちとかも大切にしたいと思っています」

 

全員がきれいにカメラを見て、にっこり笑っている。

 

そんな写真もいい。

 

けれど、七五三で子どもが泣いてしまった写真だって、何年か経てばきっと、

 

「この頃、本当に泣き虫だったよね」

 

と笑える一枚になります。

 

写真に残るのは、整えられた表情だけではありません。

 

その日の機嫌も、服装も、親子の距離も、その頃の家族らしさも。

 

きれいに撮ること以上に、「この頃の私たちは、こんなだった」と思い出せること。

 

それが、家族写真の役割なのかもしれません。

何でもない日にも、家族写真を撮っていい

 

 

七五三。

100日記念。

入園、入学。

成人式。

 

写真館へ行く日には、いつも何か「理由」が必要な気がします。

 

けれど、てだこ写真館には、特別な記念日ではない日にやってくる家族もいます。

 

「県外から家族が帰ってくるから、みんな集まれるこのタイミングで撮ろう、という方もいます。特に記念日じゃなくても来られますよ」

 

沖縄で暮らしていると、子どもが進学や就職で県外へ出ることもあります。

 

旧盆や年末年始に久しぶりに帰ってきた。

県外へ就職する前に家族が揃った。

たまたま兄弟全員の予定が合った。

 

カレンダーには何の印もついていない一日でも、「みんながここにいる」というだけで、十分に撮る理由になります。

 

考えてみれば、家族全員が揃う時間は、子どもが大きくなるほど少なくなっていきます。

 

「また今度でいいか」

 

そう思っていたら、次に全員が揃うのは一年後かもしれません。

だから、写真を撮る理由はもっと小さくていい。

 

「今日は、みんながいるから」

 

そんな一日も、数年後には立派な記念日になっているのだと思います。

いつもは撮っている側の人も、写真の中へ

 

 

家族の写真を見返してみると、不思議なことがあります。

 

子どもの写真はたくさんあるのに、お父さんがいない。

 

あるいは、お母さんがほとんど写っていない。

 

家族の記録係になっている人は、いつもカメラの向こう側にいるからです。

 

川上さんの知人にも、写真好きのお父さんが家族の写真をたくさん撮っていたものの、そのお父さん自身の写真がほとんど残っていなかった、という方がいたそうです。

 

「どんな格好をしていたのか、どんな姿だったのかを見たくても、写真がない。やっぱり、お父さんも写らないといけないですよね」

 

てだこ写真館でも、

 

「いつも自分が撮っているから、子どもと一緒に写れてうれしい」

 

と話すお父さんやお母さんがいるといいます。

 

スマートフォンがあれば、子どもの成長はいくらでも残せます。

 

けれど、家族全員が同じ一枚の中にいる写真は、意外と少ないもの。

 

子どもが何年か後にその写真を見たとき。

 

お父さんもいる。

お母さんもいる。

みんなが同じ場所で笑っている。

 

その一枚は、「私はこんなふうに家族と一緒にいたんだ」と伝えてくれるものにもなります。

 

撮る人にも、ときどきカメラを置く日が必要なのかもしれません。

写真は、しまわずに飾る。暮らしの中に生まれる心の余白

 

 

今回、川上さんに特に聞いてみたかったのが「写真を飾ること」でした。

 

スマートフォンの中にある写真は、見ようと思えばいつでも見られます。

アルバムだって、棚から取り出せばいつでも開けます。

 

けれど、「自分から見に行かなければ見えない写真」と、「暮らしているだけで目に入る写真」は、少し違います。

 

てだこ写真館には、パネルスタンドやキャンバス、カレンダーなど、写真を暮らしの中に置くためのさまざまな選択肢があります。

 

最近では、昔ながらの台紙だけでなく、飾るタイプの商品を選ぶ人が増えているそうです。

 

その理由を川上さんは、こう話します。

 

「仕事でも家族の中でも、毎日いろいろあるじゃないですか。そんなときに、自分や家族が笑っている写真が飾られていると、それだけで少し心にゆとりができるというか。ふと目に入っただけで、ちょっと気持ちが緩むんですよね」

 

写真一枚で、暮らしが劇的に変わるわけではありません。

 

仕事で疲れている日もある。

夫婦で意見が合わない日もある。

子どもに余裕を持って接することができない夜もある。

 

そんな日、リビングの壁に、家族みんなで笑っている写真がある。

ほんの一瞬でも、それを眺める。

 

「ああ、こんな日もあったな」

 

その数秒が、固くなっていた気持ちを少しだけ緩めてくれます。

 

ことことじかんが大切にしている「暮らしの余白」は、こんなところにもあるのかもしれません。

 

「せっかく撮ったのに、見なくなるよりは、見えるところにあった方がいいですよね」

 

川上さんがマンションや住宅でおすすめする場所も、やはり家族の目に触れるところ。

 

「みんながゆっくりするリビングとか、目につく場所がいいと思います。見えないところに飾っても、もったいないですからね」

 

最近では軽い素材のパネルも増え、壁への負担や傷を抑えながら飾れる方法も増えているそうです。

 

大きな額縁を一枚、立派に飾らなくてもいい。

 

棚の上に小さな写真を一枚。

冷蔵庫にマグネットで一枚。

仕事机にペットや家族の写真を一枚。

 

写真を飾ることは、思っているより気軽なものになっています。

10年、20年。写真は時間とともに価値が増していく

 

 

写真には、少し不思議な性質があります。

 

撮ったその日より、時間が経ってからの方が大切になることです。

 

今日撮った家族写真を、明日見ても、

 

「この前撮ったね」

 

くらいかもしれません。

 

けれど10年後、その写真を見る自分は、今とは違う経験を重ねています。

 

子どもは大きくなっている。

家族の暮らす場所が変わっているかもしれない。

一緒に写っている人との関係にも、さまざまな時間が積み重なっている。

 

「年月が経つほど、撮られた人にも人生経験や記憶が重なっていくので、写真がより貴重なものになる感じがします」

 

川上さんのその言葉を聞いて、写真は小さなタイムカプセルに似ていると思いました。

 

一枚の中に閉じ込めているのは、顔や服だけではありません。

 

その頃の家のこと。

仕事のこと。

子どもの口癖。

家族でよく行った場所。

一緒に笑っていた人の声。

 

写真を入り口に、その前後にあった記憶まで戻ってくる。

 

だから、写真の価値は撮った瞬間で決まるものではないのでしょう。

時間が流れるほど、あとから記憶が積み重なっていく。

 

そして何より、写真は「あとから撮る」ことができません。

 

今日という日の家族を残せるのは、今日だけです。

沖縄だから残せる、世代が重なる一枚

 

 

沖縄には、家族や親族が集まる機会がたくさんあります。

 

旧盆や正月はもちろん、トゥシビー祝い、カジマヤー祝いなど、人生の節目を家族みんなで祝う文化も残っています。

 

てだこ写真館にも、大人数で家族写真を撮りに来る人たちがいます。

 

川上さんは、沖縄のこうした文化について、

 

「めちゃめちゃいいですよね」

 

と笑います。

 

「おじいちゃんがいて、子どもがいて、孫がいる。トゥシビー祝いも、家族だけで終わらないというか、世代が重なっていく感じがありますよね。それが、うちの『いくつもの人生と心をつないでいく』というコンセプトにもつながっている気がします」

 

一枚の中に、おじいちゃん、おばあちゃん、その子ども、その孫がいる。

 

それぞれ違う人生を歩いている人たちが、その日だけ同じ場所に集まり、同じ方向を向く。

 

家族写真という言葉の意味が、とてもよくわかる瞬間です。

 

てだこ写真館では、お父さまの代から長年、福祉施設へ出向いてトゥシビー祝いなどの撮影も続けています。

 

現地に背景を設置し、まるで写真館のような空間をつくって撮影する。

 

川上さん自身、以前85歳のお祝いで撮影した方に、今度はカジマヤー祝い(97歳のお祝い)で再会することもあるそうです。写真館に残っていくのは、写真だけではありません。

 

「あのとき85歳だった方が、今度はカジマヤーか」

 

撮る側にも、人の時間が積み重なっていくのです。

 

沖縄に根づく「集まって祝う」という文化。そこに「一緒に写真を撮る」という習慣が加われば、世代を越えて残っていくものが、もうひとつ増えるのかもしれません。

「今年も撮ろうか」が、家族の習慣になったなら

 

看板犬のメイちゃんがお出迎え

 

取材の最後に、川上さんが教えてくれた写真の楽しみ方があります。

 

それは、家族写真そのものを、一年に一度のイベントにしてしまうこと。

 

「みんなで衣装を合わせたり、上だけ同じ色にしてみたり。今年は何色にする?とか、今年はどんなふうに撮る?とか。写真を撮る前から思い出になると思うんですよ」

 

七五三だから。

入学だから。

成人したから。

 

ではなく、

 

「今年もそろそろ撮ろうか」

 

そんな理由で写真館へ行く。

 

去年は白いTシャツ。

今年はデニム。

来年は少しきれいな服にしようかな。

 

そうして一年に一枚ずつ写真が増えていけば、壁には少しずつ家族の時間が並んでいきます。

 

以前撮った写真を持ってきて、

 

「これと同じポーズで撮りたいです」

 

とお願いする家族もいるそうです。

 

子どもの頃と同じ構図にしようとしても、大人になって身体が大きくなれば、もちろん同じようにはいきません。

 

「もう全然、同じ構図にならないんですよ(笑)。でも、それがまた面白いですよね」

 

それができるのも、昔の写真が残っているから。

家族写真は、過去を残すだけのものではありません。

未来の家族に、もう一度笑う理由を残しておくことでもあるのだと思います。

 

スマートフォンの中に、写真は十分すぎるほどある時代です。

 

だからこそ、その中から一枚を選んで、形にしてみる。

 

そして、いつも暮らしている場所に置いてみる。

 

朝、仕事へ出かけるとき。

疲れて帰ってきた夜。

子どもが大きくなった何年か後。

 

ふと目に入ったその一枚が、

 

「あの頃も、悪くなかったね」

 

と思わせてくれるかもしれません。

写真を撮る日は、もっと普通の日でいい。

今日の私たちは、今しか残せないのですから。

 


店舗情報

 

 

 

てだこ写真館

https://tedako-photo-studio.com/

インスタグラム

https://www.instagram.com/tedako.photo_studio/

 

所在地/沖縄県浦添市前田

 

家族写真、トゥシビー祝い、子どもの記念写真など、さまざまな撮影に対応。

撮影内容・営業時間等の詳細は、てだこ写真館の公式情報をご確認ください。

 

取材・文/新垣 隆磨

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